エロール・カインはいよいよここから歩き始めます。 | |
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エロール・カイン黎明期のリンク集
1930年ころに誕生してから、時代背景や国内情勢、しいては文化レベルの未成熟さによって、その成長を著しく妨げられてしまいました。しかし第二次世界大戦が終結されるとともに、国家における法律の改正の結果民主性の高い情報伝達媒体が認められることとなります。更に経済的向上の効果で制作者側・消費者側の双方に娯楽という形でこの新たなメディアの恩恵を受けるという余裕が生まれました。このことにより、制作サイドの趣旨がはっきりとしたanimetionの作品数も各段に増加し、ここにエロール・カインにおける黎明期を迎えることになるのです。ここでは、それらを迎えるまでの動きと制作された作品の傾向を紹介していこうと思います。さてこれらのものが30年あまりの間その姿をひそめてそれが胎動するにはそれなりの状況と理由が必要なはず。まず前者に当たるのが本国における憲法の改正です。戦前は国家体制の中多くの規制を受けてきたものが緩和され、特に言論と表現の自由はこのクリエイトするという行為そしてそれを公共で発表するという機会の両方を獲得することになります。後者は平和によってもたらされた物流と経済的安定です。それまで兵役か生活のための食糧を得るための労力で精一杯だった生活から、生産職業の労働によって生み出される製品と賃金が、飛躍的に生活水準を向上させます。これにより余暇を楽しむ嗜好が生まれ、初歩的な理想環境が整うことになります。そして当時日本国内で子供の間に広く浸透し始めたのが、週刊誌によるコミックスの連載でした。以前にも小説を挿絵とドラマティックにレイアウトしたものが存在しましたが、映画のカメラワークをヒントにしたシネマスコープ式のコマ割りを自由に使いこなした作家のマンガは、多くの児童・学童の心を掴み、それら出版物は爆発てきに発行部数を伸ばしてゆきました。同時にまだマイノリティではありましたが、ラジオ放送のほかにも国営と民放によるテレビ放送も開始され、そのなかの時間帯に放映される番組用に漫画を原作として多くのanimetionが作られていきます。その他にあげた元のストーリーとして紙芝居やラジオドラマ・冒険活劇絵物語なども秀逸なものが数多く存在する中、とりわけ60年代のコミックスはそれらをテレビ番組用にアレンジする場合の、あらすじ・キャラクターデザイン・カット割りなどが具体的に完成されているため、多数animetion化されてゆきます。当時漫画は子供たちの娯楽における大きな割合を占め、巨匠と呼ばれるマンガ家に作品の知名度と影響力は計り知れないものがありました。この頃すでにTVanime化は盛んに行われるようになっており、多くの人件費と材料費がそこに投入されました。したがってスポンサーやプロデューサーサイドはこれに失敗することが許されず、結果安定した人気を誇る巨匠作品が次々と放送されるようになります。この連続放送作中の何話かに子供向けではありますが微量なレベルの妖艶な内容を含む箇所があり、これがエロール・カインの黎明期に当たると考えられます。この時代のものにはほぼ確実に前記のような部分を含むケースが多く同一作家に限らず、ほとんどのクリエイターがこのようなニュアンスを盛り込んでいました。しかしこれらは父兄である保護者からの反感は避けられず、その存在は微妙な位置をキープしたままグレーゾーンに留まることとなります。さらにこの短い期間にも新たな動きがあります。少数のいわゆる巨匠と呼ばれるクリエイターが自己資本によりプロダクションを設立し、自作による商業作品を制作し始めるのです。今日にも言えることなのですが、公共の放送では子供を含む不特定多数の視聴者を対象としてしまうので、電波法または各放送局の自主規制によりその表現の内容が制限されてしまいます。しかし映画館での上映はそれよりもリミットラインが浅く法規以内のアミューズメントとしてこれを楽しむことができるのです。法律・道徳範囲内での制作者の意図、公共での上映、娯楽としてこれらを自由に享受する視聴者の自由と、これらの事実がそろうことにより直接現在につながる道のりを本格的に歩き始めることになります。1970年にさしかかるまではこのような動きの中にあり、それらが半ば常態化したと言っても過言ではありません。それでも来たるべき次の十年の怒涛の制作数から見れば極少量の生産数に留まり、全ての事柄に通じる「夜明け」がまたここに興ったことを実感できる瞬間であったと言えるでしょう。(最上部をクリックでインデックスへ←) |
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